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島田洋七がしくじり先生に?現在の年収や佐賀の自宅や妻について?

   

 

1980年に旋風の如く巻き起こった”漫才ブーム”。

中でもビートたけしさんのお笑いコンビ、ツービートと島田洋七さんのB&Bの人気はもの凄かったのです。

 

その島田洋七さんが18日放送のテレビ番組「しくじり先生 俺みたいになるな!!」

3時間スペシャル(テレビ朝日系)に出演します。

 

そんな島田洋七さんの波乱万丈な半生を調べてみました。

 

島田洋七

島田洋七

 

島田洋七(しまだ ようしち)のプロフィール

 

島田洋七

生年月日:1950年2月10日(66歳)

出身地:広島県白島九軒町

身長:164㎝

方言:関西弁、佐賀弁

最終学歴:広島工業大学土木工学科中退

 

1950年、父親は疎開していた佐賀から広島市への原爆投下一週間後に戻り、

家族を探して爆心地を歩き回り、入市被爆しました。

 

島田洋七さんが生まれたときには既に病床にあり、島田洋七さん2歳の時に原爆症でなくなります。

 

残された家族は、母、兄、そして島田洋七さんの三人です。

 

島田洋七さん6歳の広島市立幟町小学校1年生のときに佐賀の祖母に預けられ、

中学卒業するまでの8年間、佐賀で過ごすのですが、

その体験が大ベストセラー『佐賀のがばいばあちゃん』として後に出版され、映画化・ドラマ化されます。

 

1965年、高校は母親恋しさとともに野球がうまかったこともあり、

高校野球の名門、広島の広陵高校に入学します。

 

しかし、野球部に在籍していたのは1年生の夏までです。

 

それは練習中に打球が左腕に直撃し、肘を痛めたためです。

 

広島工業大学土木工学科に入学するも中退。

 

八百屋で住み込みで働くなどしていましたが、19歳で再び佐賀へ戻ります。

 

そして、その当時デパートで働いていた今の妻と出会い、東京へと駆け落ちします。

 

目的は歌手になるためだったと言います。

 

しかし、まもなく妻の貯金が底をつき、高校の先輩に誘われて大阪へと移ります。

 

一九七〇年、なんば花月で笑福亭仁鶴の落語や、中田カウス・ボタンの漫才を観たのをきっかけに芸人になろうと決意します。

 

その動機が、「15分笑わせるだけでお金が稼げるなんて、こんないい商売あるか」と、

お笑いがもの凄く簡単に見えたためなのです。

 

そして、伝説の漫才コンビ、B&Bが相方を三人変えて島田洋七・洋八コンビで誕生したのです。

 

 

B&B

B&B

 

1980年、東京の漫才協団に加入し、戸崎事務所に移籍します。

 

同年1月、澤田隆治プロデュースの「花王名人劇場」(関西テレビ)「激突漫才新幹線」に大抜擢され出演、

その時に漫才を変えたとまで言われたスピード感あふれる弾丸的なしゃべくりで圧倒するスタイルが、

大反響を呼び、漫才ブームの斥候的な存在として絶えず先陣を切って漫才ブームを引っ張っていったのです。

 

しかし、漫才ブームも永遠には続かなかったのです。

 

1982年の「笑っている場合ですよ!」(フジテレビ系)終了とともに人気は急降下の一途をたどります。

仕事は激減し、することがなかったのでビートたけしさんの後をついて回っていた時期もありました。

 

ビートたけし

ビートたけし

 

しかし、一時解散していたB&Bを再結成し、こつこつと仕事をこなす日々を送っていたのです。

 

そんな或る日、ビートたけしさんと寿司屋で飲んでいたときにビートたけしさんは母親自慢をし、

それに対抗するために島田洋七さんは祖母の話で対抗し、ビートたけしさんが涙を流して大笑いし、

「それは本にするべき」と助言され、1987年、話をまとめて出版社に持ち込むも「話が地味すぎ」との理由でどこも相手にしてもらえずに、自費出版します。

 

しかし、ほとんど評判にもならずに廃刊になります。

 

2002年、初出版から14年後、佐賀だけで売れればいいや、との思いで、

『佐賀のがばいばあちゃん』として二度目の自費出版をし、

このときは自費出版ものでは珍しく、2万部が売れたと言います。

 

『佐賀のがばいばあちゃん』

『佐賀のがばいばあちゃん』

 

そして、徳間書店から出版させて欲しいと連絡があり、

三度目の出版で文庫化されると口コミで評判が広がり、大ベストセラー本となります。

 

現在の収入は?

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一回の講演で120万円から150万円くらいなると言われ、

島田洋七さんは年に講演だけでも4000回行っていたというので、

これからいくらになるのか簡単に予想はつきますね。

 

現在の収入も半端ないのです。

 

佐賀の自宅や妻について

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島田洋七さんは現在、佐賀に居を構えています。

 

囲炉裏があったり、かまどがあったりと昭和の味わいが再現された家となっています。

 

それはもともと義母の介護に妻が東京と佐賀の往復で大変だったために、妻を思って建てたものなのです。

 

つまり、一時期剣呑な関係の時もありましたが、今は仲睦まじく夫婦揃って佐賀で暮らしています。

 

島田洋七夫妻

島田洋七夫妻

 

まとめ

 

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B&B

 

島田洋七さんは伝説の漫才コンビ、B&Bで漫才ブームの先陣を切り、

突っ走れるだけ突っ走ったのですが、ブームはやがて萎むもので、

一時期、島田洋七さんは仕事が激減したためにビートたけしさんの後をついて回るという生活をしていました。

 

しかし、いつまでもビートたけしさんに頼っていてはいけないと、

解散していたB&Bを再結成し、こつこつと働くようになりました。

 

その一方で、島田洋七さんと祖母との関係が生き生きと書かれている

『佐賀のがばいばあちゃん』がベストセラーとなり、講演が引きも切らずに飛び込んでくる状態になります。

 

そして、義母の介護をきっかけに佐賀に居を構え、

懐かしの昭和の面影がいっぱいの家で暮らし始めたのです。

 

そして、現在でも講演だけで生活するには十分すぎるほどの収入があり、

波瀾万丈の半生で最も落ち着いた日々といっていい暮らしを送っています。

 

佐賀の自宅

佐賀の自宅

 

そんな島田洋七さんが「しくじり先生」に出演して熱弁を揮います。

 

そこでは「思いつきで生きるな」と自戒を込めて語っているようです。 

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